尊敬する人物。

私の自己紹介欄では、尊敬する人物に二人の女性の名前を挙げている。その一人、久美沙織*1をなぜ挙げているのか、実を言うとよく分からないところがあった。なぜなら、彼女の著書を、私は十冊も読んでいないからだ。確かに「MOTHER」(新潮社)を読んだときのインパクトは、今でも私に強く影響を与えている。けど、他にも好きな小説家、影響を受けた小説家はたくさんいる。今野緒雪でもなく、大沢在昌でもなく、六道慧でもなく、久美沙織なのは、なぜだろう?
その久美沙織が書いた「コバルト風雲録」(本の雑誌社)を、友人すけろく君より借りて読む。この本は、久美沙織の半生記的な本で、彼女がデビューする以前から集英社コバルトシリーズでトップを張る頃、コバルトを去って「MOTHER」(新潮社)、「ドラゴンクエストシリーズ」(エニックス・当時)を書くまで、色々なエピソードが載っている。以前から少女小説好きだった私としては*2、そして今、ずばりコバルトな小説である「マリみて」を題材にさせていただいている私としては、興味深いの一言。
だが単に興味深いだけはなく、深く引きずり込まれるような感覚も受けた。久美沙織は人気シリーズ「丘の家のミッキー」(集英社)の内容を巡り、読者から大バッシングを受ける*3。そのとき相当落ち込んだらしいが、迫力の文章で、こっちも落ち込んでしまうんですよ。んで、その後も色々な人や色々な場所で仕事をするが、そのたびに思惑を外されて、落胆する。迫力の文章で、こっちも落胆するんですよ。
小説がただ単に消費されることを嫌い、良作を愛し、全力ですべてを込めて一作一作を書き上げようとして生きる姿が強烈に伝わってくる。その迫力がすごい。「ああ、これが久美沙織なんだ」と、感動と言うよりは、なにかこう、深く理解できた気がする。そしてそれは、「尊敬する人物」の欄に書き続けた理由が、分かったような気がした。
個人的にはジェンダー観や「マリみて」観*4には相容れないものがあったが、そんなものを超越して、何かを教えてもらった。今後は、胸を張って「尊敬する小説家は久美沙織」と言えると思う。
まずは、「丘の家のミッキー」、読んでみよう。

*1:普段から敬称略なので敬称略。尊敬する人物なのにおかしいって? その辺は何とも返答しがたい。あ、でも、お会いすれば、絶対に敬称つけますよ。そこまで礼を逸した男ではない。

*2:とはいえ私はこの本の中に出てくる言葉で言えば、「音羽系」、講談社x文庫の方のばかり読んでいたが……

*3:そのバッシングの内容ってのがまた時代を感じるんですよ……現代ではまったく死滅したような純な乙女というかなんというか。たった十五年ほどで、世間の価値観(特に若い女性の性に対する考え方)はこんなに変わってしまうものかと思った。それともただ単に「丘ミキ」の読者が特別に潔癖なだけか?

*4:恐らくお読みになっていないのでは?